2019_0716_202142 夜の新京極
お祭りの晩の商店街は趣あります。
アルバム: ◎き)京都・祇園祭 2019
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コメント (5)
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中学校時代、修学旅行で買い物した所です、懐かしい。
2020年5月4日 20:22 MR2 (43)
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MR2さん
☆とコメントありがとうございます。
近年は京都駅前の台頭で少し比重は下がった感もありますが今でも京都一の繁華街として地元は勿論、修学旅行の学生さん、海外からのお客さんを見ない日はありません。(今だけは多分地元の人も殆ど歩いてないと思いますが。。。)
平安京の時代はここから30mほど東が京の東端、東大極大路、今の寺町通だったと考えられます。京に聚楽亭を建てた太閤秀吉は京都中の寺院をこの寺町通沿いに半ば強制的に移転させます。今でも寺町通沿いには通りの名前通り、おびただしい寺院が立ち並んでいます。それこそお寺の向こう三軒両隣がお寺、状態です。新京極や寺町京極はその無数のお寺に参拝に来た人々の食事や土産物の便宜を図った門前商店街を起源にしたものと考えられます。さて秀吉は何で寺町通沿いに寺院を移転させたのでしょう?ひとつには寺院からの税徴収の効率化。今でこそお寺への寄付は非課税ですが、当時の寺院は政権に口出しするほどの力がありましたから当然納税者としても無視できないものがあったと思われます。
もう一つが防衛。東方向は秀吉にとってはまだライバルの多い危険な方向であったことから敵の戦意を削ぎプレッシャをかけるため、という説もあります。
そうだとすれば秀吉は仏さんを盾にしていたわけで、やりすぎのような気がする一方、極めてクールに合理的な考えのでき実行できる人物でもあったと思われます。2020年5月5日 02:17 キューチャン (36)
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がんちゃんさん
☆ありがとうございます。2020年5月5日 02:24 キューチャン (36)
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xkazexさん
☆ありがとうございます。2020年5月5日 17:34 キューチャン (36)
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中古のふさん
☆ありがとうございます。2020年5月5日 17:34 キューチャン (36)
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