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05.04.06.吉良上野介上屋敷跡(墨田区両国3丁目)

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写真: 05.04.06.吉良上野介上屋敷跡(墨田区両国3丁目)

写真: 05.04.06.吉良上野介上屋敷跡(墨田区両国3丁目) 写真: 05.04.06.吉良上野介上屋敷跡(墨田区両国3丁目)

mixiアルバム「墨田区両国3・4丁目/男谷信友/吉良義央」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000050711362&owner_id=32815602
2012年02月17日 00:46

05.04.06、11.03.24.
・本所松坂町公園
・両国小学校
・両国公園

・吉良上野介義央(きら こうずけのすけ よしひさ)――
彼については何も語るまい。すべて不確かなのだ。
とくに悪人説。浅野内匠頭長矩についても語っていない(→「泉岳寺/元禄赤穂事件(俗 忠臣蔵)」http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000012061236&owner_id=32815602)。
いいひと説も作り物のようだ。彼自身はただの一度も地元で政治を行っていないのだ。臣下が行っていたもので、かの大悪人的扱いから、彼の功績として吹聴したのだ。
まあ、役職技倆(ぎりょう)は当代ピカイチとはマジだろう。綱吉が記録しているから。

・勝海舟――
彼も内容がとめどなく溢れてしまうので…しばし思案…。
別途「洗足池公園 ・勝海舟」に記事あり。




mixiコメント 2013年08月15日 00:07
元禄赤穂事件のちょっち疑問――
・ずっと行動を警戒されていたのに、事件前後、奉行所は何をしていたのか。
・なぜ泉岳寺まで帰れたのか。
・吉良家の屋敷替えはなぜ行われたのか。事件同月。
・長矩自刃ののち、検視役であった庄田下総守が責任を取らされて大目付を罷免されている。また、義央と親しくしていた高家 大友義孝、義央弟 東条冬重の3名を同時に呼び出して「勤めがよくない」などと咎めて役職を取り上げている。
・長矩は「私的な遺恨である」とだけ述べ、子細は闇。
・殿中での事件ではお咎めなし、討ち入り事件では改易。討ち入り直前に隠居、家督相続した義周(重傷)は配流。


・討ち入り実行に幕府の協力があったのではないかと思わせる大石の手紙。
・大石内蔵助良雄らの行動を監視していたのは浅野本家。
・5代綱吉は、討ち入り事件後、松の廊下事件で長矩と義央の処分を独断で裁定したことを後悔している。
・もとより生類憐みの令への不満・批判・反感がひじょうに高かったところに、義央と長矩への処分についても加わった。

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