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13.12.12.上原城諏訪氏館跡(茅野市)

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写真: 13.12.12.上原城諏訪氏館跡(茅野市)

写真: 13.12.12.上原城諏訪氏館跡(茅野市) 写真: 13.12.12.上原城諏訪氏館跡(茅野市)

mixiアルバム「上原城(茅野市)」コメントコピペ


2013年12月15日 13:25

●諏訪氏――
信濃国諏訪地方の領主。諏訪神社 上社大祝(おおほうり)を司った家柄。
中世以降の通字は「頼」(より)。江戸時代以降の諏訪藩主家は「忠」(ただ)。大祝家は「頼」を継承。
代々、諏訪大社の大祝を務めてきた。その血筋は「神氏(しん又はみわ)」といい、欽明朝や推古朝の頃から平安時代初期に信濃国地方政治で活動した金刺氏(金刺部氏。かなさしべ)や他田氏(おさだ。他田部氏・おさたべ)の名が諏訪社の神官として続いた。出雲神話の神 建御名方神(タケノミナカタ)に始まるともいう。後世には桓武天皇を祖とするとも清和源氏 源満快を祖とするとも称したが、皇胤や摂関家をはじめとする公卿の末裔を称する武家が多い中、祭神 建御名方命の血筋を称す極めて尊貴な(特異な)血筋としてとらえられていた。
武士と神官双方の性格を合わせ持ち、武士としては源氏、執権北条氏の御内人、南朝方の武将、足利将軍家の奉公衆を務めるなど、一般的な国人領主と見える。しかし、神官としては、信濃国および諏訪神社観請地においては神威をもってとらえられた。信濃国一宮として朝廷からも重んじられたこともあるが、祭神の諏訪明神が軍神であることから、古来より武人の尊崇を受けていたことも大きく影響している。
それゆえ、諏訪神社の祭神の系譜を称し、諏訪神社最高の神職たる大祝を継承し、大祝をして自身の肉体を祭神に供する体裁をとることで、諏訪氏は絶対的な神秘性を備えるようになっていたと思われる。
代々の諏訪氏当主は安芸守など受領名を称したが、大祝の身体をもって諏訪の祭神の肉体とされることで正一位の神階を有し、高い権威を誇示した。

平安期。八幡太郎義家が出羽の清原氏討伐のため後三年の役に介入すると、大祝為信の子 神太為仲(諏訪為仲)は源氏軍に加わった。
大祝は祭神の神託により身体に神が宿るとされ、代々正一位の神階を継承する。

治承・寿永の乱(源平合戦)勃発においては、祭神が大祝の夢に現れ、手に持っていた梶の葉の軍配を白旗のある方向へと振り下ろしたという。この神託から、諏訪氏は源頼朝に味方する。のち、幕府御家人となる。
以来、諏訪氏及び諏訪大社を尊崇する氏子は梶の葉を家紋にしたという逸話がある。

鎌倉幕府の実権を握った北条得宗家の被官となり、全国に諏訪神社が建立される。
建武2(1335)年、諏訪頼重・諏訪時継は、北条氏残党の挙兵(中先代の乱)に加担している。
諏訪円忠(諏訪敦忠の曾孫とされる)は後醍醐天皇の建武の新政で雑訴決断所の成員を務めた。
建武政権から離反した足利尊氏に従い、室町幕府の評定衆、引付衆などを務め、信濃国に在って将軍直属の奉公衆として活躍した。

中世、諏訪氏は現市街地北方にある茶臼山に高島城(茶臼山城)を築いて居城としている。

室町時代、一族で抗争が起こり、嫡流の「惣領家」と祭祀を司る「大祝家」とに分裂。
戦国時代、諏訪頼満が南信濃屈指の大身となり、大祝家を滅ぼして惣領家が大祝も務める祭政一致となった。中興の名君と称される。
諏訪郡を巡って甲斐国守護 武田氏との争いが続く。
永正17(1520)年、諏訪頼重大祝。
天文4(1535)年9月、佐久郡侵攻を行う武田氏と和睦。
天文7(1538)年、頼重弟 頼高、大祝継承。
天文9(1540)年11月、武田信虎3女が諏訪頼重に嫁す。
天文10(1541)年6月、武田晴信が当主になってまもなく、同盟関係が破綻。
天文11(1542)年7月、晴信は高遠頼継と結んで諏訪へ侵攻。諏訪氏は敗れ、頼重・頼高は甲府へ連行されて自害となった。
※頼重辞世の句……ウッとキタので(ノ_・。)
「おのづから 枯れ果てにけり 草の葉の 主あらばこそ 又も結ばめ」
諏訪地方は武田氏の信濃侵攻における拠点・直轄領となった。諏訪満隣(みつちか。頼重叔父)は敗戦後出家。嫡男 頼豊が当主になり武田氏に仕える。3男 頼忠も兄に従い武田氏へ仕え、大祝職となった。
頼重嫡男 寅王(虎王丸)は高遠攻めの際に諏訪氏後継者として担ぎ出され、諏訪諸勢力の結集に利用される。その後は不明となったが、やはり謀殺されたと考察される(駿河へ亡命しようとする途上で捕縛され……説あり)。寅王は消息不明と扱われ、諏訪氏宗家嫡流は滅亡した。

武田氏は征服した土地の名跡を一族に継承させる方策を行っていたが、諏訪氏においては頼重娘 諏訪御料人を側室にむかえている。そして4男四郎(武田勝頼)が生まれる。
永禄5(1562)年、四郎は諏訪氏を継承。勝頼は諏訪氏通字である「頼」を継承し諏訪姓を名乗っていることもあるが、系図類では諏訪宗家の歴代に数えられておらず、形式的なものであったと考察される。また、武田氏の通字「信」が継承されなかったことは様々な考察を生んでいる。

頼豊は諏訪衆の筆頭に名を連ね、使番十二衆として活躍する。駿河侵攻戦で名を上げている。
天正6(1578)年、頼豊・頼忠兄弟は諏訪大社再建にあたる。
勝頼時代、頼豊以下諏訪一族は優遇されなかったという。
天正10(1582)年、甲州征伐。諏訪氏家臣団は頼豊に対して武田氏を離反して諏訪氏再興を図るべきと進言するが、それを拒み出陣。鳥居峠合戦で敗れ、織田軍に捕らえられて処刑された。
天正10(1582)年6月、本能寺の変で織田信長が死去。甲信は旧領回復を図る豪族たちが割拠する。頼忠も茶臼山城の河尻秀隆を攻めこれを攻略。旧領を取り戻し、御家再興を謳った。
※頼忠は勝頼、頼豊を省いて諏訪宗家20代に数えられているようだ。
しかし、天正壬午の乱。徳川氏と後北条氏の侵攻によりふたたび窮地に陥る。
同年12月、徳川家康の信濃平定軍に敗戦。和睦の形で臣従を許された。
天正11(1583)年3月、諏訪郡を所領として安堵される。
天正12(1584)年、金子城(現 諏訪市中洲)を築いて新しい拠点とした。
天正18(1590)年、家康が関東へ移封されると頼忠もこれに従い、武蔵国奈良梨に所領1万石を与えられる。
文禄元(1592)年、上野国総社に所領を移される。同年、家督を嫡男の頼水に譲った。
慶長5(1600)年、頼忠は関ヶ原合戦において江戸城留守居役、頼水は信濃・上野の守備を命ぜられ、その功績により信濃国高島2万7000石を与えられた。旧領復帰を果たす。

江戸時代、大名家と大祝家とに分かれ隆盛し、大名家は明治維新後、子爵となり華族に叙された。



神職の家ながら弔いは仏教で、宗旨は曹洞宗。菩提寺は温泉寺 (長野県諏訪市)、宗湖寺(長野県茅野市)、頼岳寺(長野県茅野市)、吉祥寺(東京都文京区)ほか。

諏訪氏の係累血族を諏訪神族(諏訪神党とも)といい、信濃国には一門が特に多い。鎌倉時代、全国に社領を拡大したこともあって全国に血族が拡散していった。
神家一党33氏(諏訪氏一族。南北朝時代は宗家ともども南朝方)――関屋氏、深澤氏、皆野氏、三塚氏、四宮氏、若尾氏、不覚氏、保科氏、神野氏、笠原氏、千野氏、松島氏、座光寺氏、栗原氏、上原氏、栗林氏、矢崎氏、風間氏、平島氏、平方氏、栗澤氏、遠山氏、向山氏、中村氏、西保氏、真志野氏、真野氏、脇間氏、繭屋氏、大妻氏、小島氏、中野氏、禰津氏、浦野氏、大垣氏、有賀氏、平井氏、神田氏、神内氏、知久氏、桓原氏、宮所氏、小坂氏、安倍氏、元澤氏、高遠氏、原氏、安部氏。

その他の諏訪氏一族――岡屋氏、栗田氏、三輪氏、箕輪氏、埴原田氏、一瀬氏、武井氏、安宿氏、足羽氏、桑原氏、山井氏、花岡氏、関氏、大平氏、大島氏、小野氏、小林氏、平林氏、周防氏、片倉氏、藤森氏、原氏、矢澤氏、宮下氏、宮崎氏、金山氏、津波木氏、岩波氏、高木氏、横田氏、海口氏、西條氏、櫻井氏、栗澤氏、福島氏、春日氏、大藍氏、宮坂氏、吉田氏、小井弖氏、平栗氏、早出氏、濱氏、中尾氏、波間氏、吉田氏、木村氏、大木氏、米澤氏、沖氏、杵淵氏、寺尾氏。

「澤」のつく庶族――栗澤氏、藍澤氏、宮澤氏、中澤氏、元澤氏、唐澤氏、福澤氏、藤澤氏、松澤氏、大澤氏、増澤氏、谷澤氏、吉澤氏、金澤氏、柴澤氏、平澤氏、米澤氏、蕗澤氏、胡桃澤氏、神澤氏、大澤氏、能澤氏、粟澤氏、駒澤氏、西澤氏、北澤氏、奥澤氏、前澤氏、横澤氏、赤澤氏、蘆澤氏、白澤氏、樋澤氏、戸澤氏、立澤氏、三澤氏、石澤氏、廣澤氏、岡澤氏、柿澤氏、長澤氏、尾澤氏、鳴澤氏、柳澤氏、瀬澤氏、古澤氏、金澤氏、澤氏、鮎澤氏、入澤氏、木澤氏、笹澤氏、田澤氏、野澤氏、小澤氏、菅澤氏、増澤氏、二澤氏、桜澤氏、有澤氏、黒澤氏、味澤氏、矢澤氏。



諏訪侵攻関係(年表記事)
上田原古戦場→
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望月城→
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東光寺→
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本能寺→
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霞ヶ城→
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上社前宮→
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