13.06.09.旧渋沢庭園/飛鳥山公園(東京都北区)
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mixiアルバム「飛鳥山公園/渋沢庭園」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000056234917&owner_id=32815602
2012年04月11日 01:28
12.04.10.
●飛鳥山――
8代吉宗が享保の改革の一環として整備・造成を行った公園。
吉宗治世当時、江戸近辺の桜の名所は寛永寺程度しかなく、花見の時期は風紀が乱れた。このため、庶民が安心して花見ができる場所を求めたという。
享保5(1720)年、吉宗が桜の苗木を植える政策を施行。
元文2(1737)年、江戸庶民に一般開放。
明治6(1873)年、上野公園などと共に日本最初の公園に指定されている。
飛鳥山公園の名の通り、一帯は小高い丘になっているが、“飛鳥山”という名前は国土地理院の地形図には記載されておらず、その標高も正確には測量されていなかった。北区では、東京都で一番低いとされる港区の愛宕山(25.7メートル)よりも低い山ではないかとして、2006年に測量を行い、実際に愛宕山よりも低いことを確認したとしている(測量結果は公表していない)。
北区は国土地理院に対し、飛鳥山を地形図に記載するよう要望したが採択されなかった。
・飛鳥山の碑――元文2(1737)年建立。飛鳥山の由来を記したもの。あまりに難解な漢文であるため、江戸時代は読めない碑として知られていた。
・桜賦の碑――明治14(1881)年建立。佐久間象山の書いた“桜賦”を、門弟 勝海舟の意で碑にしたもの。
・船津翁の碑――明治32(1899)年建立。大久保利通の招きで駒場農学校農場監督となり、後に西ヶ原の農事試験場技師として農業の発展に努めた船津伝次平の功績を顕彰するもの。
◎明治12(1879)年、渋沢栄一氏が飛鳥山に別荘を構える。1901年から栄一氏が死去した1931年までは本宅として使用された(実際は、子息のいる三田山上の邸宅との併用)。
(旧渋沢庭園。栄一氏の旧邸“曖依村荘(あいいそんそう)”跡の庭園。現存する2棟は、共に“旧渋沢家飛鳥山邸”の名称で国の重要文化財に指定されている。建物の内部は毎週土曜日の午後のみ公開。
・大正6(1917)年、晩香廬(ばんこうろ)竣工。
・大正14(1925)年、青淵文庫(せいえんぶんこ)竣工。)
平成10(1998)年、園内に三つの博物館が開館。(北区飛鳥山博物館・紙の博物館・渋沢史料館。)
※渋沢史料館――
日本の近代経済社会の基礎を築き、生涯「道徳経済合一説」を唱え、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一(天保11(1840)〜昭和6(1931)年)の全生涯にわたる資料が収蔵、展示されている∠(`´)ビシ
※参考mixiアルバム「上野山4谷中霊園1/渋沢栄一・高松凌雲・阿部正弘/」→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000005455284&owner_id=32815602
※「越谷2 香取神社/近藤勇/相馬主計/有馬藤太/」→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000003347642&owner_id=32815602
●13.06.09.――
北端入口から山頂〜南下、渋沢庭園まで行って東面へ出て、「飛鳥の小径」を北端へ。
紫陽花鑑賞f(^ω^;
Albums: 東京都4北区・板橋区・練馬区/武州
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