葛西城(葛飾区青戸)(((((((((((っ・ω・)っ ブーン
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mixiアルバム「葛西城(葛飾区青戸。御殿山公園・葛西城址公園)」コピペ――
2014年02月04日 16:31
葛西とは武蔵国葛飾郡を指し、現在の行政区分では東京都墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区の地域にあたる。中世はココ葛飾区の青戸(青砥)付近が中心地だったと見られている。
※平安時代末期、桓武平氏の庶流 秩父氏の一派がこの地域に住し、城館をかまえ葛西氏を名乗っている。
葛西氏→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000050051764&owner_id=32815602
葛西氏(葛西清重)は源頼朝の蜂起に呼応して合流。奥州合戦で手柄をたて、滅亡した奥州藤原氏に代わり現在の宮城県から岩手県にかけて所領を手に入れた。6代清貞の時に奥州へとその拠点を移し、のちに東北地方の戦国大名となる。
現在東北地方に多く見られる葛西姓の祖。
葛西氏が東北へ本拠を移した後は千葉氏がこの地域を支配。
葛西城を築いたと考察されている扇谷上杉氏家臣 大石氏は、康正2(1456)年、千葉氏一族の内紛(享徳の乱の余波。千葉氏宗家嫡流滅亡)から武蔵千葉氏2代 千葉自胤が難を逃れて落ちてきた時、これを保護したという。
のち幾多の戦乱があって……大永5(1525)年、関東進出を続けてきた北条氏綱によって城は落城、後北条氏の勢力下となる。
この頃後北条氏へ服属したのは(完全に臣下となったのは)、下総千葉氏。内乱を起こした千葉孝胤(本佐倉城築城 千葉輔胤嫡男)の孫 昌胤。
以降、後北条氏の拠点城郭となった。扇谷上杉氏の奪還作戦もあって一度は奪い返されている。
「東明寺 (川越市)」→
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「河越城南面(富士見櫓)(埼玉県川越市)」→
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天正18(1590)年、小田原征伐。
葛西城は戸田忠次らによって攻められ落城。廃城。
徳川家康江戸入府後、城跡に屋敷が建造され、「青戸御殿(葛西御殿)」と呼ばれた。
明暦3(1657)年、大火。焼失した江戸城再建の資材のために破却される。
中心部を南北に環七通りが横切っており、東西に分断されている。
「御殿山公園」と「葛西城址公園」。
昭和47(1972)年、道路建設に伴う発掘調査が行われ、戦国期の陶磁器、漆器、人骨など様々な遺物、また濠跡、住居跡、井戸跡、板碑、宝篋印塔などが発見されたが、葛西城に結びつく確実な史料は発見されなかったとか。道路建設のため遺構は埋め戻された。
中川の蛇行部を天然の堀として背後に持った平城。中川の水を取り入れて、水堀を二重に巡らせていたよう。堀の直線の曲折、馬出し状の部分などから、戦国期の城郭であったことが見てとれる。
マイマップ→ https://drive.google.com/open?id=17axHmbQh0zEWht9uj_anqeGz5IFa2hQT&usp=sharing
アルバム: 東京都5葛飾区・江戸川区/武州
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