ヘルプ

半田稲荷神社(葛飾区)

  • 110

写真: 半田稲荷神社(葛飾区)

写真: 半田稲荷神社(葛飾区) 写真: 題経寺 柴又帝釈天(葛飾区)

mixiアルバム「半田稲荷神社」コピペ――
2012年02月09日 22:20
12.02.09.
当時の初午の賑わいを、書では「町家ばかりでなく、武家屋敷にもたいていは鎮守として稲荷勧請の社があったから、初午当日の繁昌はすこぶる目覚ましいもので、大いなる社では社殿において神楽を奏し、幣帛を捧げ、五色の幟を立て、笛太鼓を囃し立てる。したがって名も知れぬ横町、または裏店の空地に鎮座まします稲荷さまも、当日は神前にお定まりの神酒・赤飯・油揚げ、その他の供物を捧げ、地口行燈を掛け連ね、町内の子供たちが寄り集まって太鼓を叩く、笛を吹く。中には大人が寄って素人茶番を催す。」とある。

延享4(1747)年の火災で記録が失われたため創建年代は不詳だが、一説に和銅4(711)年あるいは永久年間(1113〜18)のことともいう。
(和銅4年は絶対ありえないと思う。)

葛西を代表する流行神で、享保年間(1716〜36)から文化年間(1804〜18)の頃、疱瘡・はしか・安産の霊験で広く信仰を集めた。
江戸時代から非常に栄え、享保年間(1716〜35)より文化年間(1804〜17)の頃、特に信仰者が増加して、諸藩の士をはじめ多くの講中を中心に近県近郷にいたるまで常に参詣の絶えることがなく賑わった。このことは江戸時代の地誌・随筆等に多く見ることができる。また昔から小児の麻疹・疱瘡の守護神、婦人の安産を願う神と信仰されていた。
当時「願人坊主」という者が、真っ赤なあかねの木綿の法衣を裾短く、同じ頭巾の鉢巻、同じ脚絆、すべて真っ赤な衣装で、「半田稲荷大明神」の赤い幟を担ぎ、胸に引き換えの白狐を入れた小筐を掛けて、足拍子おもしろく「葛西金町半田の稲荷、疱瘡もかるい、麻疹もかるい、運授・安産御守護の神よ」と節回しおもしろ謡い踊りつつ、江戸市中から全国を廻って歩いたという。このことは芝居等にも演ぜられ、明和3(1766)年、江戸市村座で『江戸名所柳島通』との題名で上演され、天明4(1784)年に大坂角座で四世市川団蔵により歌舞伎芝居として上演された。舞踊の名手三代目坂東三津五郎が文化10(1813)年に初演した12ヶ月の所作事『四季詠寄三大字』の2月の部で踊られ、人気を呼び、錦絵にも描かれた。

※かつてこの地は、“葛西”でした。今も残る地名、江戸川区葛西、の北方です。これは狭義とされ、広義において葛西は武蔵国葛飾郡を指します。現在の行政区分では、墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区の地域です。


マイマップ→ https://drive.google.com/open?id=17axHmbQh0zEWht9uj_anqeGz5IFa2hQT&usp=sharing

お気に入り (0)

まだお気に入りに追加している人はいません。

コメント (0)

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。