勝長寿院跡(鎌倉市)
- 1
- 206
18.02.27.
阿弥陀山 勝長寿院
別称、大御堂(おおみどう)、南御堂(みなみのみどう)
宗派、不詳
本尊、阿弥陀如来
開基、源頼朝
開山、不詳
創建、文治元(1185)年
再興――
開基、北条時頼
年、正嘉2(1258)年
(→wiki)元暦元年(1184年)、源頼朝が父・義朝の菩提を弔うための寺の建立を大御堂ヶ谷の地に定め、11月26日に地曳始の儀を行った。頼朝は後白河院に依頼して義朝の首を探し出し、義朝とその腹心・鎌田政清の首は院の勅使となった大江公朝によって鎌倉に届けられた。文治元年(1185年)9月3日、義朝の遺骨と政清の首は南御堂の地に埋葬され、頼朝の他は平賀義信とその子息・惟義、源頼隆ら平治の乱関係者のみが立ち会いを許された。10月24日に堂舎が完成し盛大に落慶供養が行われた。源氏の菩提寺の性格が濃く、源氏関係者の供養が行われている。三代将軍源実朝は暗殺されたのち勝長寿院の傍らに葬られた。
その後康元元年(1256年)12月に火災のため伽藍が焼失したが、正嘉2年(1258年)に北条時頼により再建されている。しかし、その後も火災が多く永仁3年(1295年)11月にも焼失。正中2年(1325年)には同じく焼失した建長寺とともに再建費用を得るため、元との交易を行う寺社造営料唐船が派遣された(いわゆる建長寺船)。鎌倉幕府滅亡後も、勝長寿院は鎌倉を治めた足利氏の鎌倉公方より尊重されたが、足利成氏(古河公方初代)が享徳4年(1455年)に鎌倉から下総国古河に移り、同寺の門主であった成潤(成氏の兄弟)も反成氏勢力に擁される形で日光山で挙兵すると、同寺は顧みられなくなって荒廃した。(←)
北条時行の中先代の乱にて、諏訪頼重ら43人が当寺で自刃している。
鎌倉巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1jxb6mB3DQV4YD4D4murEy9SF9Rk&usp=sharing
アルバム: 神奈川県1/相州鎌倉郡1
タグ: 2018年 おおみどう お寺 お墓 みなみのみどう 阿弥陀山 阿弥陀如来 河内源氏 花の街 花の町 花暦 鎌倉 鎌倉郡 鎌倉市 鎌倉北条氏 鎌田氏 鎌田次郎 鎌田政家 鎌田政清 鎌田正家 鎌田正清 旧跡 供養 供養塔 供養碑 源惟義 源義信 源義朝 源氏 源実朝 源頼朝 源頼隆 古都 史跡 寺 寺院 寺社 執権北条氏 首塚 首藤氏 秀郷流 勝長寿院 神奈川県 諏訪家 諏訪氏 諏訪照雲 諏訪照雲頼重 諏訪頼重 清和源氏 静御前 前北条氏 相州 相模 相模国 大御堂 大内惟義 大姫 中先代 中先代の乱 藤原氏 南御堂 廃寺 平賀義信 平成30年 墓 墓所 墓地 北条家 北条氏 北条時行 北条時頼 北条政子 北条得宗家 北條氏 毛利頼隆 霊崛 歴史
お気に入り (1)
1人がお気に入りに入れています
コメント (0)
まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?
コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。