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谷中霊園(台東区)酒井家墓所

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写真: 谷中霊園(台東区)酒井家墓所

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2013年04月28日 19:35
2011年01月18日 23:29記事個別化

●酒井忠邦──
播磨国姫路藩第10代藩主。伯爵。幼名、直之助。通称、班蔵。号、裕斎。
父、伊勢崎藩主酒井忠恒(1639-1675)八男。
兄、伊勢崎藩第9代藩主酒井忠影。
江戸出身。
姫路藩は佐幕派だったため新政府の命令に従えず第9代藩主酒井忠惇は、自分は退き忠邦を養子として藩主とし、明治元(1868)年、姫路藩15万石を安堵された。藩老河合屏山の説に従い忠邦は新政府に帰順し、御用金の献上、東北への出兵を願い出、数々の救解に努めた。また、藩内に残る佐幕派の処分を行い、難局を切り抜けた。
薩長土肥の4藩が連署して版籍奉還を建議するより前に率先して版籍奉還を建白し、明治2(1869)年皇居警衛・東京市中取締。6月版籍奉還により姫路藩知事となった。
明治4(1871)年7月、廃藩により解職となり姫路藩は消滅した。以後、東京に出て慶応義塾に入学、芳野金陵に漢学を学ぶ。
同年11月アメリカに留学し、4年後に帰国したが病にかかり死亡。
従四位下。贈従三位。26歳。
夫人の鏐子(よしこ)は、雅楽頭酒井忠顕の長女。西尾忠篤の養女。

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