知っていても何の役にも立たない雑学をお楽しみください。
問題『清涼殿落雷事件とは?』
(1)平安時代に天皇がいた建物に雷が落ちて、朝廷の重職にあった者たちが死傷した事件。左遷された菅原道真の怨霊の仕業などという風評が立ったとされる。
(2)昭和初期に関東軍(旧日本陸軍の一部)が、かつて清国皇帝であった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を満州国の皇帝にしようと画策していた当時に、溥儀が爆殺された事件。関東軍は影響を少なくするため、爆殺でなく「落雷による死亡」と発表した。
(3)昭和47年に修学旅行で京都を訪れていた高校生数人が落雷により死傷した事件。その後、引率者や寺院の安全管理体制を巡り訴訟となったが、刑事・民事いずれも責任なしとされた。
正解はコメント欄に記載しました。
三重県伊勢市で撮影
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コメント (5)
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【正解発表】正解は(1)です。
2017年8月14日 10:44 きしめん 百八 (5)
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正解だったよ〜♪
2017年8月14日 10:50 退会ユーザー
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羽後地方には「神成」さんと言う姓が結構あるようです。かの
神成文吉陸軍歩兵大尉もこちらのご出身です。
さて、火雷天神となった菅公は清涼殿で仇敵であった清貫に復讐し、
さらに全国各地にも落雷の被害を及ぼしましたが、かつての領地で
あった越前の国桑原荘(諸説あり)へは落ちなかった、故に雷が
鳴りだすと人々は「桑原々々」と唱えるようになり、転じて災いを
避けるためのまじないとなったようです。2017年8月14日 12:40 退会ユーザー
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今では「菅公学生服」の看板やのぼり旗が全国各地にあるので、落雷しないと思いますよ。
2017年8月14日 22:07 きしめん 百八 (5)
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な〜る、避雷針は制服のメーカーが造っていたのかw
2017年8月15日 07:53 退会ユーザー
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