2020_0921_121920 復刻塗装
こちらは大阪電気軌道として大正3年に上本町〜奈良間を開業した時の電車のデザイン。
汚れの目立ちにくい茶色の塗りつぶしに金色の額縁のような装飾。
開業当時は縦桟横桟のはっきりわかる木造電車でしたので、こういった額縁風の装飾が似合ったのかもしれません。大軌に限らず他の私鉄の黎明期の木造電車にも似たような装飾が入っています。
大軌は大阪と奈良を直接結ぶために全長3.4キロの生駒トンネルの建設に着手しますが難工事で多額の出費が強いられ、沿線の生駒聖天にまでお賽銭を借りに行ったというエピソードがあるそうです。
それでも工費の支払いが滞り、工事を請け負った大林組まで倒産の危機に追い込まれたそうですが大林組はそれでも中断することなく手を抜くこともなく竣工までやり遂げたそうです。
これには後日談があって、この生駒トンネルは断面が小さくて小型電車しか通れず、その後の通勤需要に追い付けず、昭和39年に並行する大断面の新生駒トンネルが完成して一旦役目を終えました。ですがその20年後の昭和50年台後半に、けいはんな新線の建設が決まり、旧生駒トンネルの奈良県側の一部を拡幅して再利用することになりました。改築のため古いトンネルの壁を剥がしていくと支柱や巻き立てに使った煉瓦で誤って内壁の向こうに落としてしまったと思われるものが新品のまま出て来たそうですがそれらは当時の最高級の資材だったそうで、資金難の中でも良い工事がなされたことが70年後に改めて実証されたそうです。
旧生駒トンネルの大阪側は今も電力設備や新トンネルの保守通路、非常脱出通路として活用されていますが、
http://photozou.jp/photo/show/251552/197781838
終戦間もない頃、物資の不足による整備不良(ゴムホースパンクによる空気漏れ)が原因で、このトンネル内でブレーキが利かなくなった電車が生駒山の麓まで猛スピードで暴走し、逃げ切れなかった先行の電車に追突する大惨事が起きて多数の犠牲者が出ました。
そんなこともあってここは「心霊スポット」としてよく紹介されます。
ですが、この事故は、もちろん多数の犠牲者はあったものの、事故の規模からすると意外と被害が少なかったと見られています。これは暴走電車の中では乗務員の他、たまたま乗り合わせていた警察官や非番の乗務員の方たちが早い段階で異常を察知し、乗客の避難誘導や窓の開放(電車の窓を全開にすると空気の抵抗で結構なブレーキがかかる)などできうる限りの措置をとったことが効いていると言われています。
また途中の駅でも猛スピードで通過していった電車の異常連絡を受けて先行する何本かの電車は間一髪のところで待避線に逃げ込むことに成功して追突を免れています。
なので最後に追突した時には最盛期(130キロくらい出てたらしい)よりだいぶ減速していたようです。
そんなこんなで、創業期に開業に尽くした人達の心意気や事故帆被害を最小限に食い止めた人々の頑張りを思い起こすと、何も知らずに興味半分でこの古いトンネルを心霊スポットだと片づけてしまうのは失礼なことやなぁ、と思って見ています。
アルバム: ◎こ)交通機関・近鉄8400系
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コメント (7)
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奈良線で何度か見かけました。
どうせなら木造で復刻してほしいなぁと2020年9月27日 16:03 symrioz (0)
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中古のふさん
☆ありがとうございます。2020年9月28日 19:17 キューチャン (36)
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symriozさん
☆とコメントありがとうございます。
木造電車となった途端に機械というより建物みたいな雰囲気が出てきて
板金職人さんや溶接職人さんでなく大工さんを呼んでこなくてはなりませんね。2020年9月28日 19:23 キューチャン (36)
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がんちゃんさん
☆ありがとうございます。2020年9月28日 19:23 キューチャン (36)
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ニエブラさん
☆ありがとうございます。2020年9月28日 19:24 キューチャン (36)
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kameさん
☆ありがとうございます。2020年9月28日 19:24 キューチャン (36)
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SuzumeExpさん
☆ありがとうございます。2020年10月25日 08:35 キューチャン (36)
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