父の生きた証
病が発覚して1年、父が80年の人生を終えました。
亡くなった翌日、押入れ奥から勤めていた会社からもらったアルバムが出てきました。初めて見ました。
生きてるうちに写真1枚1枚についてエピソードを聞きたかったなあ。
父の入社は昭和28か29年あたりだと思います。
当時中卒で入社した父に、会社は夜間高校を世話してくれました。おかげで最終学歴が高卒になりました(笑)
右下はHONDAの浜松工場での一枚だと思います。一番若造なのが父です。その左、SFは昔の直営店、父はカウンターで接客をしていたようです。
それが嫌で嫌で浜松工場に帰ってきたそうです(笑)
登山が趣味だったので山の写真もたくさん出てきました。右上、撮った方のセンスが素晴らしい。
昔のホンダは社長の名前でお誕生日にアルバム贈ってくださっていたんですねえ。
おかげで白髪の混じっていない父を初めて見ることが出来ました。
アルバム: 静岡
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コメント (4)
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ご愁傷様です
心からお悔やみ申し上げます
宝物、発見ですね!
わたしは存命中に何度か見た覚えがありますが、やっぱり話は聞いてないです
こうして思い出すことが 何よりのご供養かと思います2018年6月21日 13:09 hanahana(冬眠中) (2)
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hanahanaさん
ありがとうございます。こうして見ていただけることが嬉しいです。
孫を見るという親孝行ができて良かったなあと思います。
できれば大きくなるまで見ていてほしかったです( ;∀;)2018年6月21日 14:04 ぎぎー・ももろん (3)
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いつかは亡くなる命だけれど、元気でもっと長く生きて欲しかったですよね〜。
2年ほど前、私の父も病から1年で亡くなりました。
徐々に痛みが増していくのを見ているのを辛かったです。
病を発症していなければ100才まで生きられただろう健康体でした。
しみじみアルバムを見返すとお父様との思い出が色々と
蘇ってきますよね。
私も父が亡くなってから私が父を大好きだったこと
父が家族、とりわけ母を愛していたことを改めて感じます。
感慨深いものがありますよね。そういう思い出を蘇られてくれる
写真って本当に良いものだと感じます。
山の写真、ほんとカッコいいですよね。
お父様もカッコいいし、写真としてもすごく良いですね!
あと、本田宗一郎さんから肉筆の文字でプレゼントなんて
社員を本当の家族のように大切にされていたのだと感じますね。
そういう会社で働きたいし、一流の企業たる所以を感じさせる
エピソードですね。2018年6月22日 12:42 ミント (0)
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ミントさん
ありがとうございます。そうですか、ミントねえさんも2年前にお父様を亡くされていたのですね。
私も同じく日々痛みと戦う父を見るのは辛く思いました。
あまりに苦しそうで、苦しんで、叫んで、事切れてしまうのではと心配したほどです。
ですが最後は眠ったまま、私たちも看護師さんも目を離した夜に一人で
逝ってしまいました。
最期に診てくれたのが父が最も信頼していた男性の看護師さんでね、その人が当直の晩をねらって逝ったんじゃないかって(笑)
ねえさんのお父様はお母様をとても愛していらしたんですねえ(*´ω`*)
私の父はあまり語らないし基本何もしない人だったのですが、無くなる数週間前ですかね、母に言ったそうです。「俺と結婚してよかっただろ」って。
もう最後だってわかっていたんでしょうね。父はありがとうなんて言えない人ですから。ありがとうの意味で言ったんじゃないかって母が言ってました。
葬儀をするにあたって父の経歴を書かねばならなくて、何かないかと押入れひっくり返したら出てきたんです。これ。
昔は写真て高価だったと思うんですがね、たくさん出てきました。
ある意味私が今カメラをやっているのも必然だったのかしら^^
本田宗一郎氏の文字は多分印刷です。当時何人社員を抱えていたかはわかりませんが、一人ひとり誕生日に贈り物をしていたとしたらすごいですね^^2018年6月22日 14:45 ぎぎー・ももろん (3)
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