ヤマトタケルの像
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「日本武尊御尊像に寄す」という石碑を読んでみると
日本武尊は、御歳十六の時、御父君景光天皇の命に従ひ、西は熊襲、東は蝦夷を平らげ、遂に病の身となって、能褒野(能褒野神社(のぼのじんじゃ)は、三重県亀山市田村町にある神社)
に崩せられた。御歳三十。その魂は白鳥となって、帰り得なかった大和を指して飛び給うふた。
「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
尊は、御東征の途、相模の野に於いて、賊共の火攻めの包囲に遭はれた。
尊は、草薙剣を抜いて戦はれた。その危急な際でも、尊は私のことをご心配なされて何かと
御言葉をおかけ下された。
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