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道灌丘の碑

写真: 道灌丘の碑

写真: 姿を現した社殿

太田道灌ゆかりの本行寺にて

本行寺そのものは道灌が建立したものではなく、子孫太田資高(1498〜1547年)
の開基、江戸城内平河口あったものを、その後、時代が下り江戸期1709年にこの
地に移したものらしい。道灌塚の碑は、その後1750年(寛延3年)に建立されている。

上野の高台は当時、絶好の斥候台(物見台)となったのでしょう、道灌が江戸城
を築いた時、この地に斥候のための物見台を築いたとのことです、徳川江戸以前
の歴史が見えた思いです。

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コメント (1)

  • 早起き鳥

    ご参考
    ↓徳川幕府の入城以前の江戸の地形
    http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/edo/edo1450.html

    本行寺の場所は、図中、不忍池の北「延命院」のやや東側です。

    本行寺のあるところは、ちょうど上野の台地の東縁に位置しており
    東部はもとより、北部、南部に広がる低湿地を一望に見渡すことが
    でき、軍事的に斥候台を置くには絶好の場所と思われますね。

    2013年7月5日 10:43 早起き鳥 (6)

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